双子の父ちゃん 愚痴日記Home

【妊娠発覚

「妊娠かも。」

妻が言い出した。正月明け、1月4日くらい。
正月に酒をガンガン飲んだのに大丈夫か?
恐る恐る家の近くの小さな病院に行く。
なんとなく産婦人科に入るのがイヤだったので、車で送った後、
ドトールでコーヒーを飲んで待っていた。

1時間くらいは待っただろうか。
妻がドトールにやってきた。

「今4週間くらいだって。」

事も無げに話す。
が、この時間違いなく夫婦そろってドキドキしていた。
何かイベントがあった時、事も無げに会話する時ほど、
興奮していることくらい、わかっている。

絶対に産ませて見せる。
妻の生活を最優先にする
この時固く心に誓った父ちゃんだった。
そう、この時はまだ双子とは知らずに。

理不尽な生活の始まり?

「理不尽な生活が始まりましたね!」

みたいなことを、妊娠が発覚した当時、
何人かの人に言われた。
妻が妊娠すると、家事など、あらゆることを、夫がこなすことになる。
悪阻がはじまったら、妻の望むものを買ってこなければ
ならないし、酒を飲んで帰ることも制限される。

でもこれって不思議なもんで、
その理不尽な生活って、結構耐えられるもんだと思う。
耐えるというより、
自己満足に浸る
という表現が、私には合っていた気がする。

元々私は子供を作ることに執着は無かった。
ただ、ある出来事が私を変えた。
生まれてこのかた、病気らしい病気なんて
一度もしたことなかったのに、初めて急性の病気で
入院した。その時は本当に苦しかった。

病床で、高熱と頭痛、体のだるさでぼ〜っとなりながら、思った。
あー、俺もいつ突然死ぬかわからないよなぁ。
自分の子孫を残さなければいかんな〜。
今でこそ笑えるが、当時は真剣にそう思ったものだった。

だからなのかもしれない。
妻の妊娠が発覚した時から、体中をアドレナリンがめぐり、
絶対産ませるという強い使命感でいっぱいになっていた。
双子発覚

9週目くらいの検診だっただろうか。
診察が終わり、妻と蕎麦屋に入った。

「大変なお知らせがあります。」

妻が真剣な顔でそう告げた。

あー・・・
もしかして・・・
だめだったか・・・

覚悟を決めたその時。

「これを見て。」

と、診断書みたいなものを渡された。
そこには、

「双児」

と書かれていた。

「げ。まじ!?」

これが、私の第一声だった。
なんというか、ショックだった。
まさに想定外。
この第一声は、今でも母子手帳記述されている(笑)。

現在の小さな産婦人科病院から、すぐ近くの総合病院への
転院が決まった。
初めての出産で、双子?
え、なに? なにもわからないよ?

なんとも言えない不安な気持ちで蕎麦を食べた。
あの時は本当にショックだった。
妻もどうやらショックだったらしい。

何も分からない、どうすれば・・・
途方にくれる夫婦でした。
双子に関する情報収集
とにかく情報を集めよう。
帰ってすぐにネット検索を繰り返した。
寝る間も惜しんで調べるとはこのことだった。
へ〜、結構双子っているんだ・・・
多分、そのURLをここで紹介しなくても、誰でも検索できると思います。
(というか、PC変えてbookmarkなくなりました)
とにかく妊娠〜出産までの経過が載っているページを
読みまくりました。

ネット検索と同時に、書籍も集めました。
私は学生の時から、「参考書を買って安心するタイプ」
だったこともあり、片っ端から集めました。
双子の楽しみ
双子であることが発覚して、
2週間くらい経つ頃には、
すっかり元気を取り戻した。
いや、今まで以上に楽しみになってきた。

まさに寝ないくらい、
双子に関する本を読みあさり、Webを検索し、
ぼんやりと双子の出産についてわかった。

やっぱ大変なのだ。
そりゃそうだ。
双子なんだから。

・出産が大変
・お金が同時に2人分かかる
・出産後の生活が大変

その事実を受け入れればいいだけだった。
あとは、やるしかない。
共働きだけど、どうしようとか、
まだこれから何ヶ月もあるんだ、
ゆっくり考えよう。

そして、ますます妻への過保護が
エスカレートしていった。
車に乗ったらゆっくりゆっくり走る。
急ブレーキは踏まない。
当時スポーツタイプのセダンに乗っていたのだが、
もっとサスの柔らかいファミリーカーに
買い換えようかとまで思ったくらいだった(笑)。
同居事件
ある日、1通のFAXが舞い込んだ。
妻の実家からだった。

「そろそろ一緒に暮らしませんか?」

当時私たちは、
賃貸の2DKのマンションに住んでいた。
実家の提案してきた物件は、住環境的にもよく、
広さも100平米を超える、最新型の新築マンションだ。
それを半額ずつ出し合って、しかも大部分
の部屋をこちらにくれるというのだった。


実は、それを受け取った時、心の中では
こりゃおっけーでしょ!
と思っていたのだった。
が、妻はあまり乗り気ではない。
結構ウルサイ親らしいのだ。
結婚してから何年か経つが、実家には1週間〜2ヶ月に1回くらい、
顔を出す程度。その時はとても気持ちよく
迎えてくれるが、一緒に住むと変わるらしいのだ。

1週間くらい色々と考えた。
家は欲しいけど。
確かに窮屈そうだな。
共働きしてるんだから、グッドタイミングな提案だと思ったけど。
両親ともに元気バリバリ、我々より元気なくらいなのだ。
「まだやめとこうよ」
家族での、気を遣わないのんびりとした生活を守るため、
妻の意見を尊重することにした。

この時初めて、一家の大黒柱というものを意識した。
今まで妻と友達感覚で、
面白楽しく生きてきたけど、
子供も生まれるし、もう少ししっかりしないといけないな・・・

ちなみにこの時はまだ、両親には双子はおろか、
妊娠の事実さえ告げていなかったのだ。
それもあってか、こちらかの返信を、
実家側は素直に理解してくれた。

どちらがよかったのかはわからないけれど、
今現在の気持ち的には、

一緒に住まなくてよかった・・・・・
あぶねーーーーーーー・・・

といったところだ(笑)。
悪阻
当たり前だが、ツワリが始まった。
毎日会社から這うように帰ってきて、
そのまま布団に横になっていた。
機嫌は最悪に悪かった。これだけは男には分からないから、
全てを受け入れた。
ただ、うちの場合、結果的に見ると、
あまりひどくなかったようだ。
吐くことはなかったし。

普通には食事はできなかった。
食事は私が作ったが、とにかく薄味を心がけた。
少しでも濃くなると、「気持ち悪い」と言って
受け付けてもらえなかった。
実は結婚するまで料理なんてしたことなかったが、
料理の本を見て作ってみた。
案外簡単にできるもんなんだな、とこの時思った。

セブンイレブンの、トマトサラダパスタ みたいなものを、
よく買いに行かされた。あとは、ペリエ。

げふー

というのが気持ちいいらしい。

突然肉が食べたいと言い出したこともあった。
食べたいという気があるうちに
食べなければいけないので、
車でファミレスにいったりもした。

体重は、やはり落ちたらしい。
だいたい1ヶ月くらいで、ひどい状態は抜け出した。
妊娠中の東京ディズニーランド

13週目の時、妻が、TDLの無料券を当てた。
妊娠生活、まだまだ長いから、どうしても行きたい!
と懇願してきた。
医者に相談したところ、どうせ止めても行くんだろうから、
いっといで。と言われた。

この頃には悪阻は治まりはじめていたが、今度は張りが出てきていた。
張りがひどくなったらすぐ帰るように言われていた。

朝一でTDLに到着。
ただ、のんびりと歩いたり、途中、休み休み。
穏やかな乗り物に乗ったり、
食事をしたり。妻はそれでも楽しそうだった。
昼過ぎくらいには、お腹が張ってきたので、
大事を取ってTDLを後にした。
次来る時は4人だね。
なんて話をしながら。

あれから3年経つけど、そういやまだ行ってないなー。





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